来る8月3日、4日の「ラ・クンパルシータ物語」公演について

 いよいよ8月3日(木)TOKUZO、8月4日(金)NHK文化センター名古屋教室で「ラ・クンパルシータ」初演100周年の記念コンサートが行われる。今回の企画はアルゼンチン・タンゴの最有名曲「ラ・クンパルシータ」の誕生・初演100周年を記念して、私自身が企画したものだ。
 「ラ・クンパルシータ」の初演100周年の記念に何か特別なことをやろう、と考えたのは数年前からだった。まずは月刊誌「LATINA」の2017年3月号、4月号、5月号と3回の連載で「ラ・クンパルシータ100周年」という記事を書いた。アルゼンチン~ウルグアイの「ラ・クンパルシータ」に関する書籍と雑誌記事から、この曲の数奇なエピソードを中心にまとめたものだ。ここからもう一歩何か出来ないかと考え、今年の春にバイオリンの宮越建政さんに話をもちかけてみることにした。
Matos Rodriguez Reatrato casa de Becho 738F Partitula La cumparsita945

宮越さんと最初に会ったのはブエノスアイレスだったはず。2009年のことだったと思うが、たまたま同じ時期にブエノスアイレスにいて、宮越さんはバイオリン修行の短期滞在中、その間会田桃子、青木菜穂子、SAYACA、鈴木崇朗、東谷健司(ゲストでやはり修行中だったコー・サンジも数曲に参加)による「2x4 TOKIO」のアルゼンチン公演にも参加した。そのブエノスアイレス公演の後、友人の家のアサードで一緒になったのだが、宮越さんはあまりスペイン語が得意でなく、ひたすらお酒を飲む方に走っていて、ちょっと気の毒。でもそこで話したのが最初だった。

今回のアイデアの直接のきっかけになったのは、2011年名古屋・栄のライヴハウスDOXYで行われた宮越建政さんの企画・構成による「その名はピアソラ」(演奏:quoVadis=宮越建政vn、丸野綾子pf、池田達則bn、大熊彗b)であった。ピアソラの人生を宮越さんが語りながら、エピソードにちなんだ曲を演奏する、というもの。ご存知の方もあるかと思うが、宮越さんはかつてNHKテレビのディレクターで番組の企画・構成・演出を担当、その後一大決心をして音楽家になったという人なので、このライヴはまさに宮越さんならではの企画だったのだ。語りながら演奏もする宮越さんは正直大変そうだったが、1つのステージをストーリーとして構成するやり方は、私が名古屋でずっと続けているNHK文化センター名古屋教室の「タンゴの歴史」講座で写真や映像を使いながら話している形式にも通じるものがあった。

そこで宮越さんに「ラ・クンパルシータ物語」のアイデアを伝え、内容を練り始めた。ピアソラの時と違い、「ラ・クンパルシータ」では、その1曲だけで終わってしまうので、まずは作者ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスの人生をベースにすることにした。しかし彼の作曲活動は生涯続いたわけではなく、現在も演奏される曲は決して多くない。そこでタンゴの歴史とマトス・ロドリゲスの人生を重ね合わせ、マトス・ロドリゲスの生きた時代のタンゴ史として構成することになった。
演奏は池田達則bn、専光秀紀vn、宮越建政vn、松永裕平pf、大熊彗bによるメンターオ・キンテート。メンターオは東京を中心に、オスバルド・プグリエーセを始め、トロイロ、ディサルリなどタンゴ黄金時代のスタイルによる迫力ある演奏で定評のあるグループ。普段はトリオ、クアルテートなどでも演奏しているが、今回はキンテートによる最強編成、メンターオとしての名古屋公演は初めてということで、よりいっそう気合の入ったところを聞かせてくれるはずだ。
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当然のことながら100周年は100年に1回しか来ない。この記念すべき年に出来るだけ多くの皆さんにタンゴとその名曲を楽しんでもらいたい、と切に願うのです。

今のところ、名古屋での2回の公演しか予定はありません(お話があれば、東京でも、とは思いますが...)。
8月3日(木)、名古屋・今池TOKUZOでの公演は18:00オープン、19:00スタートで、第1部は「ラ・クンパルシータ物語」のエッセンスを楽しんでいただくダイジェスト版、第2部はメンターオ・キンテートの演奏によるタンゴの名曲をたっぷり楽しんでいただくプログラム、ブエノスアイレスのミロンガ(ダンスホール)での演奏形式に準じて、私の解説をはさみながら、同じスタイル・曲種を2~3曲続けるスタイルでお送りします。会場後方のスペースをダンス用のスペースにしますので、生演奏でダンスがしたいという方も是非お越しください。
TOKUZOはおいしいお食事とお酒でも有名ですが、今回はTOKUZO風エンパナーダを出してもらうようお願いしてあります(もちろんレギュラー・メニューのマテ茶もあります!)。お酒とお食事でくつろぎながら音楽を、という方はTOKUZO公演に是非お越しください。

8月4日(金)の18:30スタートのNHK文化センター名古屋教室での公演は、「タンゴの歴史」特別講座として行われるレクチャー・スタイルです。(なお、こちらは日本タンゴ・アカデミー(NTA)共催、日本アルゼンチンタンゴ連盟(FJTA)後援です。)語りもたっぷり含めつつ90分で「ラ・クンパルシータ物語」をお送りします。
気楽なスタイルでたくさん音楽を楽しまれるのでしたら8月3日、名曲のエピソードをじっくり聞きたい、ということでしたら8月4日をお勧めします。もちろん、重複しない演奏曲目もありますので、両日お楽しみいただければ、なお嬉しいです。

それぞれ、出来るだけご予約をお願いいたします。8月3日のTOKUZO公演は 052-7330-3709(TOKUZO)で前売りは3500円(当日は4000円になります)、食べ物・飲み物のオーダーは各自お願いいたします。
8月4日のNHK文化センターの講座は052-952-7330(NHK文化センター名古屋教室)で、会員(NHK文化センター、日本タンゴ・アカデミー、日本アルゼンチンタンゴ連盟)は\4158、一般の方は\4719となります。

どうかお見逃しなく!
20170803 Tokuzo La cumparsita Mentao120170804「ラ・クンパルシータ」生誕100周年記念 名曲でつづるタンゴの歴史4

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音楽を聴き始めた頃のこと

 不肖私、今年(2017年)で50歳、ラテンアメリカの音楽を聴き始めて35年、初めてアルゼンチンに行ってから30年が経った。これまでも訊かれた時には答えてきたのだが、私がどうやってラテンアメリカ音楽にたどりついたのかを書くという機会はあまりなかったので、少し記しておこうと思う。

 よく音楽の趣味は両親の影響ですか?と言われるのだが、我が家は音楽に関しては、一般家庭以下の「音楽縁」しかなかったように思う。両親・祖父母ともに楽器を奏するものはなく、親戚をかなりたどってもピアノの先生が一人いただけだ。(ずっと後のことだが、叔父のところにお嫁さんに来た人がピアノの先生だったのだが、その人は何と日本の新世代バンドネオン奏者の先駆的存在でもあるTさんの初期の先生だった。世の中狭いものである。)
 
わが家にはレコードプレイヤーぐらいはあったが、レコード棚にあったのはカラベリ、カントリー名曲集、フランク・シナトラのベスト、カーメン・キャバレロのラテン、歌のない歌謡曲、クラシック名曲集といったありきたりのもので、それもせいぜい10組ほどしかなかったように思う。父に聞いたら自分たちで買ったものはほとんどなく、もらったものが多かったようだ(その中になぜか1970年の万博に来日したホセ・バッソ楽団が日本で録音していったアルゼンチン・タンゴ集があった。だからといってこのレコードがタンゴに没入するきっかけにはならなかったが。)
 私自身は楽器を習うでもなく、歌が好きなわけでもなく、学校の音楽の授業にも興味が持てず、ただなんとなくTVのベスト10番組を見てるような小~中学生だった。同級生は深夜ラジオや漫画にのめりこんだり、初期の家庭用TVゲームなどにはまっていたが、一時期集めていたミニカーや切手をのぞけば、正直それほど没頭するようなものは私にはなかった。

 実は私が最初に興味を持った音楽はタンゴではなく、スウィング・ジャズだった。1982年の年末、NHKテレビでベニー・グッドマンの来日公演の模様を放送していたのをたまたま観たのである。あとでわかることだが、これはグッドマン最後の来日公演で、1980年オーレックス・ジャズ・フェスティバルのライヴ、私が見たのは再放送だったはず。最初は「クラシック以外にも演奏だけの音楽があるんだ...」という印象、でもなぜか「シング・シング・シング」はどこかで聞いた覚えがあった。ともかくリズミックな音楽が気に入った。両親にラジカセを買ってくれるよう頼み、ついでにカセットもいくつか買ってきてくれるよう頼んだところ、3本のカセットが私の目の前に登場した。
 当然ベニー・グッドマンのカセットは含まれていたが、あとの2本がどういうわけか「マンボの王様」ペレス・プラードとアルゼンチン・タンゴのベスト(東芝)だったのである。あとで考えてみると不思議な選択だった。いくら両親が音楽に疎いとはいえ、自分よりさらに上の世代の音楽を選んだことになる。おそらく自分のリアルタイムの音楽へのこだわりがなかったので、自分たちの両親(つまり私の祖父母)の世代が聴いていた音楽の断片的記憶が作用したのだろうか。
Benny Goodman Casette Moscow 503Perez Prado CD Best Victor120
 その3つのうち、私が一番気に入ったのはペレス・プラードだった。世の中の趨勢から少なくとも35年ほどずれていたことになる。もちろん同じ音楽の趣味を共有する同級生はなく、日本で出ていたレコードの数も知れていたので、やがて輸入盤を探したり、音楽雑誌を手がかりにし(ここで「ラティーナ」と改名する1年前の雑誌「中南米音楽」と出会う)、中古レコード屋めぐりの習慣が身についていく。ぺレス・プラードからザビア・クガート、東京キューバンボーイズ、レクオーナ・キューバン・ボーイズといったあたりをたどったところで、タンゴの面白さにも惹かれ始める。ラテン・リズムの多様さに興味があったので、まずたどりついたのは「リズムの王様」フアン・ダリエンソ。当時入手できたのは「フェリシア」というLPで、1976年に出た追悼10枚組からあぶれた最初期の1935~1939年の録音を集めたという、およそベスト盤とは程遠いマニアックな内容だったのだが、これがすっかり気に入ってしまう。なぜか私はSP盤復刻のスクラッチノイズが初めから気にならなかった。
 そこからフランシスコ・カナロ、ピリンチョ、カルロス・ディ・サルリ、ロドルフォ・ビアジ、フランシスコ・ロムートといった感じで聞きすすんでいき、トロイロ、プグリエーセ、ピアソラにたどりつくには1年以上かかったのはないかと思う。
Felicia Juan DArienzo Juan DArienzo orquesta Biagi 1936145
 初めて行ったライヴはラテン系が東京キューバンボーイズ(すでに解散していたので再結成による特別ライヴ)、タンゴ系はオランダのコンチネンタル・タンゴの雄、マランド楽団だった(すでに本人は亡くなっていたので、娘婿がリーダーだった)。アルゼンチン・タンゴ本場物の最初は1985年のホセ・バッソ楽団の公演だった。こちらは実に印象深く、いつも難しそうな顔をしたレイナルド・ニチェーレがトップバイオリンを弾き、セカンドはまだ18歳だったレオナルド・フェレイラ、バンドネオンのトップは隠れた名手のカチョ・ビダル、歌手はフアン・カルロス・グラネリが予定されていたが急遽来日とりやめになって、代役で来たのは元エクトル・バレーラ楽団のフェルナンド・ソレール(この後タンゲリーア「タンゴ・ミオ」「セニョール・タンゴ」のオーナーとして有名になる)だった。まだ「タンゴ・アルゼンチーノ」の世界的ブームの直前であり、ダンサーは参加していなかった。たまたま家にあったレコードのアーティストが15年ぶりに来日した時が最初のアルゼンチン・タンゴのライヴ経験ということになったのである。
jOSE bASSO099
 その後ラテンの興味はオールド・キューバ系にも広がり、タンゴはオラシオ・サルガンの音楽と出会うことで現代タンゴにも広がっていく。さらにフォルクローレ、ブラジルにも関心は広がり、ジャズもラグタイムからモダンジャズに至るまで断続的に聴き続けているが、基本的にはコルトレーンの前で止まっている。ファド、フラメンコ、レゲエという隣接?3ジャンルには今日まであまり深入りすることなく来ている。
 今はインターネットのおかげもあって、それほどお金をかけなくても、世界のありとあらゆる音楽がとりあえずは聴ける。でもその一方でそれを自分で探していく楽しみとか、そのプロセスで徐々に学んでいけるものが欠損してしまっているような気もする。情報は少なかったが、下北沢や吉祥寺で半日レコード屋を渡り歩いて、安い値段で効率よく集めていた時期がなんとも懐かしい。

名門アバロス兄弟の軌跡~ビティージョ94歳の最新録音

 アバロス兄弟 Los Hermanos Abalosはアルゼンチンのフォルクローレの歴史において、北西部のリズムをラジオやレコードを通じて、わかりやすい形で紹介した存在として先駆的な巨星である。その唯一の存命者であり、本年94歳というビティージョ・アバロス Vitillo Abalosの新譜「黄金のレコード」(El disco de oro)が昨年発表された。残念ながら日本のメディアではちゃんと紹介されていないようなので、ここにあらためて記しておきたい。

Vitillo Abalos CD 052

 「アバロス兄弟」はサンティアゴ・デル・エステロ州出身(厳密には両親がブエノスアイレスにいた時に生まれたものも含まれている)の実の兄弟たちによって1939年から活動を開始した。上からナポレオン・ベンハミン(愛称マチンゴ)、アドルフォ、ロベルト・ウィルソン、ビクトル・マヌエル(愛称ビティージョ)、マルセロ・ラウル(愛称マチャーコ)の5人兄弟で、基本はアドルフォのピアノ、ビティージョのボンボ、後の3人がギター、歌は全員で、というものだが、曲によっては持ちかえでケーナやチャランゴも演奏した。

 結成のきっかけは、1938年にアドルフォとマチンゴがブエノスアイレス大学で化学を勉強するため移住したことだった。2人は以前カルロス・ガルデルの歌う民謡調ガトを聞いて、歌い方もリズムも本当のガトではないと感じ、ブエノスアイレスの人たちに本物のガトを聞いてもらわなくてはいけない、という思いがあったという。ほどなくデュオを結成、ピアノのあるバーでしばらく演奏していたが、当時ピアノ演奏によるフォルクローレは大変珍しかったことも手伝って、ラディオ・エル・ムンドのプロデューサーに見出され、即契約とあいなった。翌年、翌々年にビティージョとマチャーコがそれぞれ上京、1942年にはロベルトが上京し、5人組のエルマノス・アバロスが完成する。

Hnos Abalos Nostalgias SP 243

同年、タンゴ・ピアニストのルシオ・デマーレの兄で、アルゼンチン映画界を代表する監督だったルカス・デマーレ監督で、タンゴの作詞家としても名高いオメロ・マンシの脚本による名作「ガウチョ戦争」 La guerra gauchaの音楽を担当、そこに登場した彼らの最大のヒット曲「谷間のカルナバリート」 Carnavalito quebradeñoによって、一躍その名を知られるようになる。
 以来、ラジオ、レコーディング(長くRCAビクトルだったが、1940年代の一時期にオデオン、1960年代以降ステントール、コルンビア、ミクロフォンにも録音している)、ペーニャ(一時期「アチャライ・ウアシ」という自分たちの店も持っていた)などで広く活躍、1940年代から高まるフォルクローレの隆盛をリードする存在となった。
1952年には初のLPを録音、そのシリーズ「我らのダンス」Nuestras danzasはサンバ、エスコンディード、ガト、パリート、クアンドなど北西部を中心に代表的な形式を、ピアノとギターを中心としたわかりやすい演奏で収録、フォルクローレ・ダンスの教則用という需要もあってCD時代まで長くベストセラーとなる。

Hermanos Abalos RCA Nuestras danzas RCA Camden 3LPS 566

1966年には来日公演も行った。当時フォルクローレといえば、その少し前に来日していたエドゥアルド・ファルー、アタウアルパ・ユパンキ、スーマ・パスといったアルゼンチンのギター弾き語りスタイルのイメージがほとんどで、アバロス兄弟のスタイルはひときわ民俗的色彩の濃いものだった。残念ながらあまり大きな話題とはならなかったが(たぶんこのタイミングでの来日は早すぎたのだろう)、日本でケーナの演奏がはじめて聞かれたのもこの時だったはずである。(本CD新録音⑧のChacarera del sol nacienteはこの時の印象だろうか?)

ABALOS

その後も断続的に60年近く活動してきたアバロス兄弟だったが、2000年にマチャーコ、2001年にロベルト、2004年にマチンゴが死去した。ピアノのアドルフォは2000年からソロ活動を行い、珠玉のアルバムを残したが、2008年に死去。1922年4月30日生まれのビティージョだけが今も94歳で健在なのである。

実はビティージョは1997年、75歳の時に一度引退を発表しているのだが、その後ほどなく若手の演奏家と一緒に「ビティージョ・アバロスの中庭」というショウを行い好評を得、2011年と2012年にはアルゼンチン全土をツアー、2013年からはラジオ番組も持っているそうだ。そして94歳になった2016年、「エル・ディスコ・デ・オロ、フォルクローレ・デ・1940」が発表される。2枚組のCDアルバムで、1枚はエルマノス・アバロスの1940~50年代のRCA録音の復刻だが、もう1枚は新録音で、②フアンホ・ドミンゲス(ギター)、⑨⑩ハイメ・トーレス(チャランゴ)、ペテコ・カラバハル(バイオリンと歌)、⑬打楽器集団ボンバ・デ・ティエンポ、⑫イルダ・エレーラ(ピアノ)、⑭ファクンド・サラビア(歌)、⑬アクセル・クリヒエル(歌)、③リリアナ・エレーロ=ラリ・バリオヌエボ=ペドロ・ロッシ、④レオポルド・フェデリコ(生涯唯一のチャカレーラの録音、ギターのゲストにウーゴ・リバスも)、⑪オマール・モジョといった、フォルクローレはもちろん、アルゼンチン・タンゴやロックも含めた大ベテランから若手まで多彩なゲストを迎えたものになっている。⑥には現在のアバロス一族も参加する。
まだフォルクローレが全国的に知られていなかった時代から(最初の頃、「君たちはボリビアから来たの?」と聞かれたりしたそうだ)、ボンボ一筋でサンティアゴの味を伝えてきたアバロス兄弟最後の一人、ぜひその歴史的重みを新旧の録音でぜひじっくり味わっていただきたい。

曲目 新録音CD1:
①ペテコ・カラバハルによるイントロ Presentacion Peteco Carabajal
②チャイコフスキーのガト Gatito de Tchaikovski
③ハンカチを振りながら Agitando panuelos
④ラ・フゲトーナ(遊び好きのチャカレーラ) La juguetona
⑤宇宙のビダーラ Vidala del universo
⑥チャカレーラ・コプレーラ Chacarera coplera
⑦太陽いずるチャカレーラ Chacarera del sol naciente
⑧デ・ロス・アンヘリートス De los angelitos
⑨谷間のカルナバリート Carnavalito quebradeno
⑩焚き火のそばで Juntito al fogon
⑪炭焼き女と人は呼ぶ Me llaman la carbonera
⑫46 La cuarenta y seis
⑬エル・ウトゥリータ El utulita
⑭サンティアゴの郷愁 Nostalgias santiaguenas
⑮ボンボおじさんと踊ろう Bailando con el bombisto
⑯チャカループとビティージョのサパテオ Chacaloop y zapateo de Vitillo

CD2:1940~50年代のエルマノス・アバロスのRCA録音20曲を収録、新録音と同じ曲目も多数

ペルー音楽初期録音の貴重な記録~CD「マルティン・チャンビの時代の音楽」

 1917年から1937年までのペルー音楽の録音を復刻した大変興味深いアルバムが発売された。タイトルの「マルティン・チャンビ」は1891年ペルーのプーノに生まれた写真家の名前で、ケチュア語を主要言語とする貧しい農村の出身だったが、14歳で鉱石の輸出会社に就職するため上京、そこでイギリス人の写真家と出会い、1908年アレキーパに移り、写真を撮り始める。先住民族や祝祭などさまざまな風俗を記録に残し、その視線は写真とメディアそのものに内在していた白人的な視点に大きく影響を受けつつも、自己の出自である先住民やメソティーソの視点も持っていた。1973年に亡くなり、国際的に評価され始めたのは1990年代だという。表紙の写真はもちろん、中にももう1点の写真が掲載されている。このアルバムに収録された音源はチャンビがもっとも多くの写真を撮っていた時期なのである。
CD Martin Chambi 048

Martin Chambi Carlos Prieto Libro 1

 アルバムの内容とチャンビの写真には時代以外の共通点がある。それは商業写真家として、スタジオで着飾った人々を撮るということと、民族のシンボルを記録するという2面性が、ペルー初期のレコーディングに見られる商業性と民族性の関係性に非常に近いものがあるからだ。
 一般的な感覚でいくと、録音が古ければ古いほど、より原初の形に近い音楽が聴ける、と思うかもしれないが、実際はそうではない。特に1926年以前はマイクがまだない時代であり、大きな音で録音できることが重要であり、そのためには大編成の編曲ができる、当時のポピュラー音楽界では少数派だったきちんと音楽教育を受けたアーティストが重用されることになる。実際このCDに収録されている1917~23年の録音はブラスバンドやオーケストラによるものである。

 マイクの使用が可能となって、ケーナ、アルパ、チャランゴなどの音もバランスよく録音可能となるが、それでもオーケストラや弦楽四重奏に編曲したフォルクローレなどが多い。まだ当時は民族の音を記録しようという意図はなく、クラシック音楽を聴く人にも鑑賞出来るようなスタイルを目指す(当時の人たちが考える「高い音楽性」)ということもあるだろう。2曲、現在ではあまり見られなくなったというエストゥディアンティーナ(スペイン伝来の弦楽器、アコーディオンなどのアンサンブルを指すが、ペルーではフォルクローレの演奏編成の一つとして確立されている)の録音もあるが、これは実際の演奏スタイルをそのまま記録したといえるが、比較的人数が多くて、録音に適していたからだろう。CDにはケーナとアルパのトリオ1曲と、アルパ・ソロ1曲があるが、これはむしろ珍しい方に入ると思う。

 ここに収録されている原盤はほとんどが北米盤である。おそらく1940年代までペルーには録音スタジオもプレス工場もなかったはずで、1930年代半ばまではアメリカ制作(最初期は譜面を持って、北米のスタジオオーケストラが演奏、その後は音楽家が出張するケースと録音隊が出張するケースがあったはずだ)、それ以降1950年代前半まではアルゼンチンのブエノスアイレスで録音・プレスが行われていた。その数は決して少なくないはずだが、これまでほとんど復刻されていない。上記のような録音事情を踏まえれば、なかなか面白い内容なのである。

 特に目を引くのは「コンドルは飛んでいく」の作曲者ダニエル・アロミア・ロブレス作曲①「アンデスの夜明け」である。「コンドルは飛んでいく」はペルー・フォルクローレで最も知られた曲であることは疑いないが、伝統的なモチーフをもとに、ロブレスが1913年にサルスエラ(スペイン語圏のオペレッタ)のために書いた曲であり、当時としては高い音楽的知識を持った人物の作曲によるものなのである。当のサルスエラは先住民労働者とアメリカ人鉱山主の闘争を描いた政治色の強かったせいもあり、後世には残らなかったが、1950年代から単独の楽曲として演奏されはじめ、1970年のサイモン&ガーファンクルによって世界的に知られるようになる(ただサイモン&ガーファンクル盤では作者不明の民謡扱いになっていた)。このCDの①をきくと、大げさなオーケストラ演奏にも思えるが、これはおそらくロブレス本人の編曲だと思われ、彼の目指した音楽はこういうものだったのではないか、「コンドルは飛んでいく」も、作者のオリジナルなイメージはこの録音に聞かれるような壮大なオーケストレーションだったのではないか、とも思うのだ。

私の手元には①と同時期のインターナショナル・オーケストラのSPと、その1年後、1929年の録音と推測されるブルンスウィック・レーベルの自作演奏(そちらはオルケスタ・ペルアーナ・デ・ロブレス)があるが、同じような編曲手法だ。
Nortena SP just 050
Huayno SP just 051

CDには他にもワルツの名曲「詩人メルガール」で知られるベニグノ・バジョン・ファルファン作曲⑩「マンコ・カパク」(フォックストロット)と⑬「クシクイ」(ワンステップ)などもあり、外国音楽とペルー伝統音楽の折衷に苦心してきた先駆者の姿も浮かぶ。(写真は私の自慢のコレクション、ファルファン作「メルガール」の1917年頃のレコード。)
Melgar SP just 049


私の手元にはタンゴのSP盤収集の傍らで入手できた1930~1940年代ブエノスアイレス録音のペルーとボリビア音楽のSPが100枚ほどある。アルゼンチンのスタジオ・ミュージシャンの助けも得て、また一味違う面白みがある。タンゴの復刻の進み具合に比して、この分野の復刻盤はゼロに近い。この盤の続編としてこの辺もいつの日か復刻されないものだろうか。

Entrevista de Caroline Neal, directora de la pelicula "Salgan & Salgan" (en castellano)

(1) ¿Cuándo y cómo empezó el proyecto de hacer una película sobre Horacio Salgán?

- A pesar de ser famoso, Horacio Salgán es un hombre muy privado que nunca había dado mucho acceso a la prensa. Tal vez no hubiera aceptado de entrada la idea de un documental sobre él y su hijo, pero Ignacio Varchausky y Carlos Villalba de TangoVia Buenos Aires le propusieron un proyecto, un “Año Salgán” en 2008, con muchas actividades incluyendo la re-formación de su orquesta típica con su hijo César en el piano, con conciertos en Buenos Aires y en un festival en Roma, la grabación de un disco para la colección “Raras Partituras” de la Biblioteca Nacional, y la publicación de un libro, con la Biblioteca Nacional, de los arreglos orquestales de Salgán en su propio puño y letra. Un proyecto hermoso. Me invitaron a filmar un registro documental del proyecto. Sabíamos que Horacio y César tenían una relación marcada por largas etapas sin contacto. La primera noche que nos juntamos con los Salgán era claro que la situación daba para un largometraje: eran dos caballeros con un trato muy amable y formal, casi distante, pero existía en sus miradas una historia mucho mas compleja por descubrir.

(2) ¿Por qué elijiste usted ese tema?

- Cuando conocí a Horacio y César, vi en su historia unos temas universales entre los padres y los hijos. Las expectativas y los miedos, el abandono y la reconciliación, el anhelo y el enojo, la distancia y la conexión. Mi propio padre, que había muerto un año antes, fue médico y aunque me hubiera gustado ser médica, no elegí la medicina, en parte por el miedo de no cumplir con sus expectativas. Admiré a César por su coraje de tocar el instrumento y la música de su padre, uno de los genios del tango, una leyenda viva de la música argentina. Quería entender cómo y porqué se animaba a seguir en los pasos del maestro Horacio Salgán, aunque le costaba bastante hacerlo.

Horacio Salgan Cesar Caroline F


(3) ¿Qué es el secreto de su larga vida del maestro según tu vista?

- Anoche hablamos con César sobre esta misma pregunta. Dije que para mí es su pasión, su compromiso con su trabajo que lo despierta en la noche y que le llena sus días. Horacio todavía trabaja aun con sus 100 años. Pero César agregó algo más: Horacio es siempre de buen humor. Siempre tiene un chiste listo y no guarda rencores. Como ven en la película, es conocido no solamente por la música, pero por los chistes también. Vive feliz.

(4) ¿Cuál es la escena que te gusta más en la película?

- Que pregunta difícil. Puede ser la escena con el pianito redondo, porque recuerdo la energía el día que filmamos: era la primera vez que padre e hijo iban a tocar juntos…y en un piano que no suena! Cuando empezaron a tararear, algo que los dos hacen cuando tocan siempre, no podía creer la belleza y la poesía del momento. También me gusta mucho la escena de Horacio merendando y César cocinando, por su cotidianidad. Es una escena larga, a propósito, que ofrece una experiencia del silencio y la separación que existía entre Horacio y César en ese momento, aunque estaban compartiendo un departamento pequeño. Cuando veo esa escena, siento mucho gratitud por la generosidad de Horacio y César en dejarme filmarles en su intimidad.

(5) ¿El piano redondo que apareció en la película y el afiche se hizo especialmente para esta película?

- El piano redondo es una obra del artista argentino Julio Fierro que se llama “Flor de Piano”. Julio es un amigo y cuando vi el piano me encantó y decidimos usarlo para el poster. El fotógrafo Carlos Furman sacó la foto. Un piano circular es una gran metáfora para este historia de padre e hijo; es el piano al final que les ayudó reencontrarse.

(6) ¿Hay más plan de hacer otra película suya?

- Tengo unas cosas cocinando “A Fuego Lento”. Otra película de tango más vinculada al baile, un documental sobre los Sufis en Argentina, y una comedia romántica para filmar en la Argentina y la India.

(7) Mensaje para el público japonés, por favor.

- Estoy muy agradecida que “Salgán & Salgán” se estrenó en el Sakura Tango Festival en Fukuoka este año y ojalá se pueda seguir su recorrido por Japón. Es una película hecha con mucho cuidado y mucho amor. La mayoría filmé con una cámara en mano, pero hay un par de escenas en las cuales usé un trípode en el departamento de César, donde la acción pasa dentro de un plano amplio y fijo. Seguramente esas escenas tienen la influencia de la poesía cinematográfica del gran Yasujiro Ozu, especialmente por los planos fijos de Tokyo Story. ¡Que don tenía Ozu por expresar la complejidad de las emociones humanas con gestos simples! Mi pequeño documental ni se acerca a la maestría de Ozu, pero ofrece una visita íntima con dos personas entrañables además de ser dos maestros del tango. Aunque la Argentina y Japón son países separados por tanto distancia, grandes maestros como los Salgán y como Ozu nos ayudan con su arte encontrar las tantas cosas que tenemos en común.


(8) Hay algún cambio en tu trabajo después de la película “Si sos brujo” hasta “Salgán & Salgán” como directora de la película.

- Mi escena favorita en “Si sos brujo” es la escena cuando Emilio toca el bandoneón en su cocina y su hija canta, con su mujer Lidia, Ignacio Varchausky y el perro como público. Es una escena muy personal e íntima. Cuando arranqué con “Salgán & Salgán”, mi deseo era que fuera “todo cocina”. Con Alberto Muñoz el co-guionista, priorizamos la línea narrativa sobre los elementos didácticos. “Salgán & Salgán” todavía utiliza la entrevista como un elemento narrativo. Tal vez en la próxima, dejo esa herramienta. Pero tal vez, no. La entrevista no es solamente una manera de compartir información. Es también una manera de mostrar como la persona entrevistada forma su propia historia y su manera de presentarse al mundo. Siempre revelamos más que la información hablada en la entrevista, y esa meta-información me interesa.

Cesar y Horacio Salgan

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