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日本タンゴ楽団の栄光
~ティピカ東京&ティピカ・ポルテニヤの海外ツアーとその反響


 かつて日本のタンゴ楽団が長期にわたる海外公演を成功させていたことは、タンゴ・ファン以外にはあまり知られていない。その最初は1964年のことで、早川真平とオルケスタ・ティピカ東京、藤沢嵐子、阿保郁夫、柚木秀子というフルメンバーで行った南米ツアーだった(早川と藤沢のみそれ以前の1953、54、56年の3回アルゼンチンへ渡っており、その時藤沢の歌が反響を呼び、ラジオ出演やレコード録音を行ったことがその後の楽団全体のツアーの下敷きになっている)。アルゼンチンのテレビ番組出演がツアーのきっかけで、ナイトクラブ出演、地方公演やレコード録音も行い、さらにウルグアイ、チリ、ペルー、コロンビア、エクアドル、メキシコで公演、約9ヶ月にわたる大規模なツアーとなった。ツアー中、以下のレコードが録音された。

①RCA Victor AVL3527(アルゼンチン)TANGO EN KIMONO(=日本盤「タンゴ・エン・キモノ」 RMP-5047(S))
②RCA Victor AVL3543(アルゼンチン)ORQUESTA TIPICA TOKIO
(日本盤ビクター SHP-5538「ブエノスアイレスのオルケスタ・ティピカ東京」は①と②からの編集)
③東芝 OP-7122 「ブエノスアイレスの藤沢嵐子」(ミゲル・カロー楽団、うち6曲が藤沢嵐子歌)
④RCA Victor 05(0131)02170(コロンビア) TANGO EN KIMONO Vol.II(アルゼンチン/ペルー録音)
⑤RCA Victor IES-69(コロンビア)LA TIPICA TOKIO EN COLOMBIA
⑥RCA Victor F-LSP-5(ペルー)ORQUESTA TIPICA DE TOKIO

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 残念ながら現在これらの音源がほとんどCDに復刻されていないのは残念なことだ。また、このツアー期間中、アルゼンチン映画”Viaje de una noche de verano”「夏の一夜の旅」にも出演している。

さらに1966年1月には坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ(海外ではオルケスタ・サカモト)、阿保郁夫、国井敏秋がアルゼンチン公演に出発する。楽団はその後近隣諸国をめぐり、さらにティピカ東京ツアーでは訪れなかったベネズエラ、スペイン、プエルトリコ、アメリカ合衆国まで足を伸ばし、結局1年以上ツアーを続けた。ただし最後期には、阿保・坂本らは先に帰国、残った楽団はメキシコ人メンバーなども加え、ラテンのレパートリーを中心にしたショウ・バンドになっていたが、それも結局プロモーターの持ち逃げによって現地解散となった(この時64年ティピカ東京公演にも参加し、2回目の海外ツアーだったバンドネオンの岩見和雄とバイオリンの岩城喜一郎はニューヨークに残ることを選んでいる)。このツアーの間に録音されたものに以下がある。

①BELTER 22159(スペイン)TANGOS / ORQUESTA TIPICA SAKAMOTO
②CARIBE LP0004(ベネズエラ)SERENATA ORIENTAL / ORQUESTA SAKAMOTO
③GILMAR L.P.021(ベネズエラ)ORQUESTA SAKAMOTO(録音はプエルトリコか?)
④ALEGRE SLPA-8660(北米) ORQUESTA SAKAMOTO DEL JAPON At the Chateau Madrid

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阿保郁夫の他に、女性歌手として高たか子が参加、さらに①②には国井敏秋、③④には国井に代わって高沢ひとし(ホセ高沢)が参加している。①と④がアメリカでCD化されている。資料によれば最後期この楽団は「オルケスタ・セレナータ・オリエンタル・フジヤマ」の名で公演していたが、その流れと思われる17センチ盤4曲入りレコードが手元に1枚ある。

No number ORQUESTA SHOW FUJIYAMA-Exitos Vol.III canta HITOSHI TAKASAWA

「第3集」とあるのであと2枚あるのだろう。実際に聞いてみると伴奏は普通のマリアッチであり、おそらくはホセ高沢が坂本楽団解散後にメキシコで「フジヤマ」の名前を使って単独で仕事をしたものと思われる。レーベル名も番号もない17センチ盤だが、盤やマトリックスの刻印などの感じはメキシコOrfeonレーベルのものだ。

この2楽団のツアーがどれだけの反響を持っていたかを物語る興味深い別の資料がある。それは両楽団の人気に便乗して制作されたと推測されるレコードの存在である。私の手元にあるレコードを紹介する。

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(a) ADRIA AP-64 Los grandes éxitos de la ... TIPICA DE TOKIO – Canta Rubén Maldonado
「テイピカ・デ・トキオ・大ヒット曲集」なので本人の演奏でなくてもいいわけだが、中身は普通のタンゴ名曲集でティピカ東京のレパートリーでないものもあるので、基本的には単なる便乗。歌っているルベン・マルドナードはアルゼンチン人で、長くコロンビアに暮し、スペインで歌っていた時期もある歌手。レーベルの方には「ルベン・マルドナード&ティピカ・デ・ハポン(日本)」と書かれているが、日本人の楽団とは思えない。フィーリングは本格的だが、コロンビア録音を便乗商品に仕立てたものか。

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(b)BINGO B-46 Tangos argentinos – ORQUESTA TIPICA DE TOKIO
「ティピカ・デ・トキオ」になっているが、ジャケット写真の女性も東南アジア人のようだし、収録曲の作者データもない怪しいレコード。有名曲は「灰色の午後」と「セ・ティラン・コンミーゴ」「ミロンガ・デル・ソリタリオ」ぐらいであとは正体不明。「タクシー・ガールズ」なんてタイトルのミロンガもある。演奏は本格的だが、ティピカも小編成もギター伴奏もあって楽器編成・音質共に一定しない。歌手は少し線が細いタイプや下町風など少なくとも数人含まれているようだがアルゼンチン人だろう。しかし日本のタンゴ楽団との関連は見いだせず、要は阿保の持ち歌「灰色の午後」が入っているだけで無理やり便乗商品に仕立てただけ?

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(c)Ricky Records RICKY-116 The Best of SAKAMOTO – Enrique Mendez y su orquesta tipica
「ベスト・オブ・サカモト」と大書してあるが、端っこに目立たない色で「エンリケ・メンデス楽団」と書いてある。メンデスはアルゼンチン人バンドネオン奏者で早くからアメリカ合衆国に渡り活動、北米に来たタンゴ歌手の伴奏や、タンゴ・ダンス・ショウの先駆者フアン・カルロス・コぺスの北米公演にも参加している。Ricky Recordsには単独アルバムを残しており、ここの6曲も実はそこからとったもの。演奏はなかなかしっかりしているのだが、曲目がほとんど坂本楽団と無関係。残り半分には歌が入っていて、歌手はアメリカで中南米の音楽を幅広く歌っていたマリア・ルイサ・ブチーノ。こちらには「ポルケ・ラ・キセ・タント」「海に向かって」など入っているのでまだ坂本楽団のレパートリーに近い。ただジャケットの建物は見事に中国系。横の女性も日本人ではなさそうだ。

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(d)Ibersound IB-602 Tangos de arrabal – ORQUESTA TIPICA JAPON
こちらもかなり妙なレコードで、まずジャケットがどう見ても日本ではない。タイかインドネシアあたりの風景だ。内容の方は一見すると有名曲は少ないのだが、聞いてみると、「イルシオン」とあるのが「インディフェレンシア」、「エル・プレシディアリオ」は「ア・ラ・ルス・デル・カンディル」、「君の最後の手紙」は「テ・アコンセホ・ケ・メ・オルビデス」、「ベンタロン」はマフィアのそれではなく、ディセポロの「セクレト(秘密)」。曲のあとに作者と思しき人の名前が書いてあり、2曲にホセ・バロス、4曲にホアキン・モラの名が記されている。ホセ・バロスは「漁師のクンビア」の大ヒットで知られるコロンビアの作曲家、ホアキン・モラはアルゼンチン人バンドネオン/ピアノ奏者で、珍しく黒人の血を持ち、「椿姫」「あのお姫様のように」「マス・アジャ」など独特のロマンティックなメロディーを持った異色作で知られる人物。モラは1940年代から中米諸国を放浪したが、特にコロンビアには長くとどまり、タンゴ歌手の伴奏レコードも残している。全体に伴奏が頼りないので(特にバイオリン)、外地(おそらくコロンビア)の録音であることは間違いないが、歌手は明らかにガルデル~ウーゴ・デル・カリルを意識したスタイルのものが多く(すべて同一人物とは思えない)、レパートリーが渋めなので、アルゼンチンの歌手だろう。タンゴ歌手のコロンビア録音あたりを調べると元ネタが割れそうだ。収録曲の中に作者として中米で長く活動した歌手ラウル・ディ・アンヘロの名があるのも気にかかる。

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(e)La Playa Records LP-907 Tangos sicodelicos – ORQUESTA TIPICA JAPONESA
これはある意味極め付きの1枚。アルバム・タイトルが「サイケデリック・タンゴ」なので初めはびっくりしたが、よく考えると坂本楽団が成功した1966~67年はアメリカ西海岸を中心にサイケが流行した時期と重なる。だからといって「オルケスタ・ティピカ・ハポネサ」(日本のオルケスタ・ティピカ)と結びつけるのも意味不明だし、もっと不可解なのは内容がきわめてまっとうなアルゼンチン・タンゴで、サイケな要素がどこにもないことだ。「さらば草原よ」「追憶(レメンブランサ)」という有名曲が2曲が入っているが、あとは無名作者のタンゴ。やはりすべての曲を同一人物がやっているようには思えないが、演奏はなかなか本格的なものである。

結局謎だらけの5枚なのだが、はっきり言えるのは1960年代半ば~後半に日本のタンゴ楽団が中南米諸国や米国のヒスパニック系の間でにわかに話題になり、便乗商品が作られるほどの人気を博していたということだ。
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