ウルグアイの才人、マノーロ・グアルディアを偲んで
去る3月13日、ウルグアイの多彩なピアニストにして編曲家マノーロ・グアルディアが世を去った。
日本では弦楽+ピアノというユニークなグループ「カメラータ・デ・タンゴ」のリーダーとして知られているマノーロだが、タンゴとクラシックのみならず、ジャズやカンドンベなどの分野でも才能を発揮した人物であった。
1938年モンテビデオ生まれで、11歳の時からラジオ番組で人気を博していたミゲル・アンヘル・マンシ率いる少年タンゴ楽団で活躍。のちにこの楽団は他ジャンルの少年演奏家を含めて少年レビュー楽団となった、私の手元にはマノーロが15,6歳の時にリーダーとなり、「少年レビュー楽団」のメンバーと共に録音したレコードが1枚ある。(写真参照、初期にはマヌエル・グアルディアと名乗っていた)タンゴの方はマンシとマノーロが作曲した作品で、歌う歌手も同年代のようだ。この楽団のラジオ番組の人気は高く、1975年まで続いたという。この楽団からは多くのプロ・ミュージシャンが育っており、タンゴ歌手のナンシー・デ・ビタ、カンドンベのエドゥアルド・ダ・ルスもこの楽団からデビューしていったアーティストである。


その後マノーロはジャズ畑を中心に活躍するが、1960年代初めにはピアソラとサルガンの影響を受けたモダン・タンゴのキンテート・デ・ラ・グアルディア・ヌエバを結成する。メンバーにはのちにカメラータで一緒に演奏するコントラバス奏者フェデリコ・ガルシア・ビヒル(彼はさらに後、モンテビデオ市立交響楽団の指揮者となる)、モダン・タンゴのトリオを率いたことでも知られるアリエル・マルティネス(バンドネオン)、現在はアメリカでラテン・ジャズ&サルサの分野で活躍しているフェデリコ・ブリートス(バイオリン)、そしてギターのエドゥニオ・ヘルピだったが、ヘルピが退団したのち、ギターを担当したのはのちにウルグアイ・ポピュラー音楽の巨人となるエドゥアルド・マテオだったという。残念ながらこのグループの録音は残っていない。
これらの活動と並行して、ジョルジ・ロス(今も高い人気を誇る歌手ハイメ・ロスの叔父にあたるシャンソン&ジャズ歌手で、プロデューサーとしても優れた業績を残した)と組んで、ジャズやボサノヴァのテイストを盛り込んだカンドンベ集のアルバムを1965年に制作、数あるカンドンベの名盤の中でも一際グルーヴの効いた大傑作である。(オリジナル盤は大変な稀少盤だが、最近ダニエル・レンシーナ、エベルト・エスカジョーラの同時期の録音と合わせCD復刻された。だが日本にはまだ入っていない。)
1969年、弦楽とピアノによるタンゴ楽団「カメラータ・デ・タンゴ」を結成、デ・ラ・プランタ・レーベルで出たファースト・アルバムはアルゼンチンのトローバ・レーベルでも発売され、当時トローバと契約のあったビクターから日本盤「新しいタンゴの調べ」としても発売された。カメラータはクラシカルな編成によるモダンなスタイルの編曲が評判となり、その後も長く活動、ジャズやクラシックの小品も取りあげる時には「カメラータ・プンタ・デル・エステ」と名乗っている。一方、ルベン・ラダら歌手のアルバムにも作品提供や編曲・伴奏指揮などで参加し、その才能は幅広く発揮された。


しかし1970年代独裁政権を嫌ってベネズエラに移住、約5年間を過ごす(一方他のカメラータのメンバーはメキシコへ移り、別のピアニストを加え「カメラータ・プンタ・デル・エステ」として活動を続けた。マノーロの編曲はそのまま使われた)。帰国後は様々な歌手の伴奏や、ポピュラー音楽を題材にしたクラシック作品を交響楽団に提供していた。
私がただ一度、マノーロにあったのもこの時期、1990年代の半ばだった。ソリス劇場で行われていたモンテビデオ市立交響楽団のリハーサルを見ていたのだが、ちょうどマノーロのカンドンベ調の作品を練習しているところで、交響楽団のパーカッション奏者と、カンドンベ・リズムのパートだけ参加するアフロ系の打楽器隊のノリの違いが興味深かった。正面の席でリハを見ているマノーロのそばに行き挨拶すると、意外にもとても背の小さい人でびっくりしたが、にこやかに握手してくれたのを覚えている。
ところが1997年、不幸にも手術のミスで両手麻痺という音楽家としては致命的な障害を負ってしまう。懸命のリハビリによって、右手だけはかろうじて回復し、2006年には「右手のためのタンゴ」という右手だけで演奏した多重録音のアルバムを発表するまでに回復したが、結局これが彼の最後のアルバムとなってしまった。
私自身の忘備録という意味も兼ねて、以下にマノーロ・グアルディアの残したアルバムを列記しておく。
*MANOLO (MANUEL) GUARDIA 名義
SONDOR(Uruguay) 5512 “La pulguita / Consejo de hermano” (78rpm, 1953頃)
/ Manuel Guardia y su orquesta integrantes de la “Rtevista Infantil” dirigida por M.A.Manzi
CHIC (Uruguay) LPCH 84 “Candombe!” (1965)
SONDOR (Uruguay) 50110 “Cantiga por Luciana / Candombecito”(シングル)
SONDOR (Uruguay) 33109 “Bijou” (1970)
AYUI (Uruguay) A/E297CD “Tangos para la mano derecha” (2006, CD)
*CAMERATA DE TANGO / CAMERATA PUNTA DEL ESTE
De La Planta (Uruguay) KL-8308 “Chau Che / Camerata de tango” (1971)
=TROVA(Argentina) XT-80013
=日本盤 Victor SJET-8396「新しいタンゴの調べ」
De La Planta (Uruguay) KL-8328 “Camerata Cafe Concert” (1973)
RCA (Uruguay) LPUS002 “Tangueses” (1975)
RCA (Uruguay) LPUS007 “Camerata Punta del Este – Cafe Concert vol.2” (1975)
*マノーロ・グアルディアが抜けた後のCAMERATA PUNTA DEL ESTE
Discos FOTON (Mexico) LPF042 “Carta abierta – En vivo” (1978)
Discos A.C. (Mexico) CE1006 “Gris Tango” (1979)
Discos FOTON (Mexico) LPF051 “Camerateando” (1982)
PENTAGRAMA (Mexico) LPP133 “Cameratango” (1989)
FANFARE RECORDS (USA) 3573 “Tangos of Passion” (1996, CD)
TESTIGO (USA) TT10117 “Por la vuelta” (1999, CD)
*編集盤
PENTAGRAMA (Mexico) PCD-324 “Camerata Punta Del Este” (1997, CD)
SONDOR (Uruguay) 8110-2 “Treintangos – Camerata Punta Del Este” (1999, CD)
AYUI A/M 43CD “Candombe!” (Hebert Escayola, Daniuel Lencina, Manolo Guardia) (2012, CD)

日本では弦楽+ピアノというユニークなグループ「カメラータ・デ・タンゴ」のリーダーとして知られているマノーロだが、タンゴとクラシックのみならず、ジャズやカンドンベなどの分野でも才能を発揮した人物であった。
1938年モンテビデオ生まれで、11歳の時からラジオ番組で人気を博していたミゲル・アンヘル・マンシ率いる少年タンゴ楽団で活躍。のちにこの楽団は他ジャンルの少年演奏家を含めて少年レビュー楽団となった、私の手元にはマノーロが15,6歳の時にリーダーとなり、「少年レビュー楽団」のメンバーと共に録音したレコードが1枚ある。(写真参照、初期にはマヌエル・グアルディアと名乗っていた)タンゴの方はマンシとマノーロが作曲した作品で、歌う歌手も同年代のようだ。この楽団のラジオ番組の人気は高く、1975年まで続いたという。この楽団からは多くのプロ・ミュージシャンが育っており、タンゴ歌手のナンシー・デ・ビタ、カンドンベのエドゥアルド・ダ・ルスもこの楽団からデビューしていったアーティストである。


その後マノーロはジャズ畑を中心に活躍するが、1960年代初めにはピアソラとサルガンの影響を受けたモダン・タンゴのキンテート・デ・ラ・グアルディア・ヌエバを結成する。メンバーにはのちにカメラータで一緒に演奏するコントラバス奏者フェデリコ・ガルシア・ビヒル(彼はさらに後、モンテビデオ市立交響楽団の指揮者となる)、モダン・タンゴのトリオを率いたことでも知られるアリエル・マルティネス(バンドネオン)、現在はアメリカでラテン・ジャズ&サルサの分野で活躍しているフェデリコ・ブリートス(バイオリン)、そしてギターのエドゥニオ・ヘルピだったが、ヘルピが退団したのち、ギターを担当したのはのちにウルグアイ・ポピュラー音楽の巨人となるエドゥアルド・マテオだったという。残念ながらこのグループの録音は残っていない。
これらの活動と並行して、ジョルジ・ロス(今も高い人気を誇る歌手ハイメ・ロスの叔父にあたるシャンソン&ジャズ歌手で、プロデューサーとしても優れた業績を残した)と組んで、ジャズやボサノヴァのテイストを盛り込んだカンドンベ集のアルバムを1965年に制作、数あるカンドンベの名盤の中でも一際グルーヴの効いた大傑作である。(オリジナル盤は大変な稀少盤だが、最近ダニエル・レンシーナ、エベルト・エスカジョーラの同時期の録音と合わせCD復刻された。だが日本にはまだ入っていない。)
1969年、弦楽とピアノによるタンゴ楽団「カメラータ・デ・タンゴ」を結成、デ・ラ・プランタ・レーベルで出たファースト・アルバムはアルゼンチンのトローバ・レーベルでも発売され、当時トローバと契約のあったビクターから日本盤「新しいタンゴの調べ」としても発売された。カメラータはクラシカルな編成によるモダンなスタイルの編曲が評判となり、その後も長く活動、ジャズやクラシックの小品も取りあげる時には「カメラータ・プンタ・デル・エステ」と名乗っている。一方、ルベン・ラダら歌手のアルバムにも作品提供や編曲・伴奏指揮などで参加し、その才能は幅広く発揮された。


しかし1970年代独裁政権を嫌ってベネズエラに移住、約5年間を過ごす(一方他のカメラータのメンバーはメキシコへ移り、別のピアニストを加え「カメラータ・プンタ・デル・エステ」として活動を続けた。マノーロの編曲はそのまま使われた)。帰国後は様々な歌手の伴奏や、ポピュラー音楽を題材にしたクラシック作品を交響楽団に提供していた。
私がただ一度、マノーロにあったのもこの時期、1990年代の半ばだった。ソリス劇場で行われていたモンテビデオ市立交響楽団のリハーサルを見ていたのだが、ちょうどマノーロのカンドンベ調の作品を練習しているところで、交響楽団のパーカッション奏者と、カンドンベ・リズムのパートだけ参加するアフロ系の打楽器隊のノリの違いが興味深かった。正面の席でリハを見ているマノーロのそばに行き挨拶すると、意外にもとても背の小さい人でびっくりしたが、にこやかに握手してくれたのを覚えている。
ところが1997年、不幸にも手術のミスで両手麻痺という音楽家としては致命的な障害を負ってしまう。懸命のリハビリによって、右手だけはかろうじて回復し、2006年には「右手のためのタンゴ」という右手だけで演奏した多重録音のアルバムを発表するまでに回復したが、結局これが彼の最後のアルバムとなってしまった。
私自身の忘備録という意味も兼ねて、以下にマノーロ・グアルディアの残したアルバムを列記しておく。
*MANOLO (MANUEL) GUARDIA 名義
SONDOR(Uruguay) 5512 “La pulguita / Consejo de hermano” (78rpm, 1953頃)
/ Manuel Guardia y su orquesta integrantes de la “Rtevista Infantil” dirigida por M.A.Manzi
CHIC (Uruguay) LPCH 84 “Candombe!” (1965)
SONDOR (Uruguay) 50110 “Cantiga por Luciana / Candombecito”(シングル)
SONDOR (Uruguay) 33109 “Bijou” (1970)
AYUI (Uruguay) A/E297CD “Tangos para la mano derecha” (2006, CD)
*CAMERATA DE TANGO / CAMERATA PUNTA DEL ESTE
De La Planta (Uruguay) KL-8308 “Chau Che / Camerata de tango” (1971)
=TROVA(Argentina) XT-80013
=日本盤 Victor SJET-8396「新しいタンゴの調べ」
De La Planta (Uruguay) KL-8328 “Camerata Cafe Concert” (1973)
RCA (Uruguay) LPUS002 “Tangueses” (1975)
RCA (Uruguay) LPUS007 “Camerata Punta del Este – Cafe Concert vol.2” (1975)
*マノーロ・グアルディアが抜けた後のCAMERATA PUNTA DEL ESTE
Discos FOTON (Mexico) LPF042 “Carta abierta – En vivo” (1978)
Discos A.C. (Mexico) CE1006 “Gris Tango” (1979)
Discos FOTON (Mexico) LPF051 “Camerateando” (1982)
PENTAGRAMA (Mexico) LPP133 “Cameratango” (1989)
FANFARE RECORDS (USA) 3573 “Tangos of Passion” (1996, CD)
TESTIGO (USA) TT10117 “Por la vuelta” (1999, CD)
*編集盤
PENTAGRAMA (Mexico) PCD-324 “Camerata Punta Del Este” (1997, CD)
SONDOR (Uruguay) 8110-2 “Treintangos – Camerata Punta Del Este” (1999, CD)
AYUI A/M 43CD “Candombe!” (Hebert Escayola, Daniuel Lencina, Manolo Guardia) (2012, CD)


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