名門アバロス兄弟の軌跡~ビティージョ94歳の最新録音
アバロス兄弟 Los Hermanos Abalosはアルゼンチンのフォルクローレの歴史において、北西部のリズムをラジオやレコードを通じて、わかりやすい形で紹介した存在として先駆的な巨星である。その唯一の存命者であり、本年94歳というビティージョ・アバロス Vitillo Abalosの新譜「黄金のレコード」(El disco de oro)が昨年発表された。残念ながら日本のメディアではちゃんと紹介されていないようなので、ここにあらためて記しておきたい。

「アバロス兄弟」はサンティアゴ・デル・エステロ州出身(厳密には両親がブエノスアイレスにいた時に生まれたものも含まれている)の実の兄弟たちによって1939年から活動を開始した。上からナポレオン・ベンハミン(愛称マチンゴ)、アドルフォ、ロベルト・ウィルソン、ビクトル・マヌエル(愛称ビティージョ)、マルセロ・ラウル(愛称マチャーコ)の5人兄弟で、基本はアドルフォのピアノ、ビティージョのボンボ、後の3人がギター、歌は全員で、というものだが、曲によっては持ちかえでケーナやチャランゴも演奏した。
結成のきっかけは、1938年にアドルフォとマチンゴがブエノスアイレス大学で化学を勉強するため移住したことだった。2人は以前カルロス・ガルデルの歌う民謡調ガトを聞いて、歌い方もリズムも本当のガトではないと感じ、ブエノスアイレスの人たちに本物のガトを聞いてもらわなくてはいけない、という思いがあったという。ほどなくデュオを結成、ピアノのあるバーでしばらく演奏していたが、当時ピアノ演奏によるフォルクローレは大変珍しかったことも手伝って、ラディオ・エル・ムンドのプロデューサーに見出され、即契約とあいなった。翌年、翌々年にビティージョとマチャーコがそれぞれ上京、1942年にはロベルトが上京し、5人組のエルマノス・アバロスが完成する。

同年、タンゴ・ピアニストのルシオ・デマーレの兄で、アルゼンチン映画界を代表する監督だったルカス・デマーレ監督で、タンゴの作詞家としても名高いオメロ・マンシの脚本による名作「ガウチョ戦争」 La guerra gauchaの音楽を担当、そこに登場した彼らの最大のヒット曲「谷間のカルナバリート」 Carnavalito quebradeñoによって、一躍その名を知られるようになる。
以来、ラジオ、レコーディング(長くRCAビクトルだったが、1940年代の一時期にオデオン、1960年代以降ステントール、コルンビア、ミクロフォンにも録音している)、ペーニャ(一時期「アチャライ・ウアシ」という自分たちの店も持っていた)などで広く活躍、1940年代から高まるフォルクローレの隆盛をリードする存在となった。
1952年には初のLPを録音、そのシリーズ「我らのダンス」Nuestras danzasはサンバ、エスコンディード、ガト、パリート、クアンドなど北西部を中心に代表的な形式を、ピアノとギターを中心としたわかりやすい演奏で収録、フォルクローレ・ダンスの教則用という需要もあってCD時代まで長くベストセラーとなる。

1966年には来日公演も行った。当時フォルクローレといえば、その少し前に来日していたエドゥアルド・ファルー、アタウアルパ・ユパンキ、スーマ・パスといったアルゼンチンのギター弾き語りスタイルのイメージがほとんどで、アバロス兄弟のスタイルはひときわ民俗的色彩の濃いものだった。残念ながらあまり大きな話題とはならなかったが(たぶんこのタイミングでの来日は早すぎたのだろう)、日本でケーナの演奏がはじめて聞かれたのもこの時だったはずである。(本CD新録音⑧のChacarera del sol nacienteはこの時の印象だろうか?)

その後も断続的に60年近く活動してきたアバロス兄弟だったが、2000年にマチャーコ、2001年にロベルト、2004年にマチンゴが死去した。ピアノのアドルフォは2000年からソロ活動を行い、珠玉のアルバムを残したが、2008年に死去。1922年4月30日生まれのビティージョだけが今も94歳で健在なのである。
実はビティージョは1997年、75歳の時に一度引退を発表しているのだが、その後ほどなく若手の演奏家と一緒に「ビティージョ・アバロスの中庭」というショウを行い好評を得、2011年と2012年にはアルゼンチン全土をツアー、2013年からはラジオ番組も持っているそうだ。そして94歳になった2016年、「エル・ディスコ・デ・オロ、フォルクローレ・デ・1940」が発表される。2枚組のCDアルバムで、1枚はエルマノス・アバロスの1940~50年代のRCA録音の復刻だが、もう1枚は新録音で、②フアンホ・ドミンゲス(ギター)、⑨⑩ハイメ・トーレス(チャランゴ)、ペテコ・カラバハル(バイオリンと歌)、⑬打楽器集団ボンバ・デ・ティエンポ、⑫イルダ・エレーラ(ピアノ)、⑭ファクンド・サラビア(歌)、⑬アクセル・クリヒエル(歌)、③リリアナ・エレーロ=ラリ・バリオヌエボ=ペドロ・ロッシ、④レオポルド・フェデリコ(生涯唯一のチャカレーラの録音、ギターのゲストにウーゴ・リバスも)、⑪オマール・モジョといった、フォルクローレはもちろん、アルゼンチン・タンゴやロックも含めた大ベテランから若手まで多彩なゲストを迎えたものになっている。⑥には現在のアバロス一族も参加する。
まだフォルクローレが全国的に知られていなかった時代から(最初の頃、「君たちはボリビアから来たの?」と聞かれたりしたそうだ)、ボンボ一筋でサンティアゴの味を伝えてきたアバロス兄弟最後の一人、ぜひその歴史的重みを新旧の録音でぜひじっくり味わっていただきたい。
曲目 新録音CD1:
①ペテコ・カラバハルによるイントロ Presentacion Peteco Carabajal
②チャイコフスキーのガト Gatito de Tchaikovski
③ハンカチを振りながら Agitando panuelos
④ラ・フゲトーナ(遊び好きのチャカレーラ) La juguetona
⑤宇宙のビダーラ Vidala del universo
⑥チャカレーラ・コプレーラ Chacarera coplera
⑦太陽いずるチャカレーラ Chacarera del sol naciente
⑧デ・ロス・アンヘリートス De los angelitos
⑨谷間のカルナバリート Carnavalito quebradeno
⑩焚き火のそばで Juntito al fogon
⑪炭焼き女と人は呼ぶ Me llaman la carbonera
⑫46 La cuarenta y seis
⑬エル・ウトゥリータ El utulita
⑭サンティアゴの郷愁 Nostalgias santiaguenas
⑮ボンボおじさんと踊ろう Bailando con el bombisto
⑯チャカループとビティージョのサパテオ Chacaloop y zapateo de Vitillo
CD2:1940~50年代のエルマノス・アバロスのRCA録音20曲を収録、新録音と同じ曲目も多数

「アバロス兄弟」はサンティアゴ・デル・エステロ州出身(厳密には両親がブエノスアイレスにいた時に生まれたものも含まれている)の実の兄弟たちによって1939年から活動を開始した。上からナポレオン・ベンハミン(愛称マチンゴ)、アドルフォ、ロベルト・ウィルソン、ビクトル・マヌエル(愛称ビティージョ)、マルセロ・ラウル(愛称マチャーコ)の5人兄弟で、基本はアドルフォのピアノ、ビティージョのボンボ、後の3人がギター、歌は全員で、というものだが、曲によっては持ちかえでケーナやチャランゴも演奏した。
結成のきっかけは、1938年にアドルフォとマチンゴがブエノスアイレス大学で化学を勉強するため移住したことだった。2人は以前カルロス・ガルデルの歌う民謡調ガトを聞いて、歌い方もリズムも本当のガトではないと感じ、ブエノスアイレスの人たちに本物のガトを聞いてもらわなくてはいけない、という思いがあったという。ほどなくデュオを結成、ピアノのあるバーでしばらく演奏していたが、当時ピアノ演奏によるフォルクローレは大変珍しかったことも手伝って、ラディオ・エル・ムンドのプロデューサーに見出され、即契約とあいなった。翌年、翌々年にビティージョとマチャーコがそれぞれ上京、1942年にはロベルトが上京し、5人組のエルマノス・アバロスが完成する。

同年、タンゴ・ピアニストのルシオ・デマーレの兄で、アルゼンチン映画界を代表する監督だったルカス・デマーレ監督で、タンゴの作詞家としても名高いオメロ・マンシの脚本による名作「ガウチョ戦争」 La guerra gauchaの音楽を担当、そこに登場した彼らの最大のヒット曲「谷間のカルナバリート」 Carnavalito quebradeñoによって、一躍その名を知られるようになる。
以来、ラジオ、レコーディング(長くRCAビクトルだったが、1940年代の一時期にオデオン、1960年代以降ステントール、コルンビア、ミクロフォンにも録音している)、ペーニャ(一時期「アチャライ・ウアシ」という自分たちの店も持っていた)などで広く活躍、1940年代から高まるフォルクローレの隆盛をリードする存在となった。
1952年には初のLPを録音、そのシリーズ「我らのダンス」Nuestras danzasはサンバ、エスコンディード、ガト、パリート、クアンドなど北西部を中心に代表的な形式を、ピアノとギターを中心としたわかりやすい演奏で収録、フォルクローレ・ダンスの教則用という需要もあってCD時代まで長くベストセラーとなる。

1966年には来日公演も行った。当時フォルクローレといえば、その少し前に来日していたエドゥアルド・ファルー、アタウアルパ・ユパンキ、スーマ・パスといったアルゼンチンのギター弾き語りスタイルのイメージがほとんどで、アバロス兄弟のスタイルはひときわ民俗的色彩の濃いものだった。残念ながらあまり大きな話題とはならなかったが(たぶんこのタイミングでの来日は早すぎたのだろう)、日本でケーナの演奏がはじめて聞かれたのもこの時だったはずである。(本CD新録音⑧のChacarera del sol nacienteはこの時の印象だろうか?)

その後も断続的に60年近く活動してきたアバロス兄弟だったが、2000年にマチャーコ、2001年にロベルト、2004年にマチンゴが死去した。ピアノのアドルフォは2000年からソロ活動を行い、珠玉のアルバムを残したが、2008年に死去。1922年4月30日生まれのビティージョだけが今も94歳で健在なのである。
実はビティージョは1997年、75歳の時に一度引退を発表しているのだが、その後ほどなく若手の演奏家と一緒に「ビティージョ・アバロスの中庭」というショウを行い好評を得、2011年と2012年にはアルゼンチン全土をツアー、2013年からはラジオ番組も持っているそうだ。そして94歳になった2016年、「エル・ディスコ・デ・オロ、フォルクローレ・デ・1940」が発表される。2枚組のCDアルバムで、1枚はエルマノス・アバロスの1940~50年代のRCA録音の復刻だが、もう1枚は新録音で、②フアンホ・ドミンゲス(ギター)、⑨⑩ハイメ・トーレス(チャランゴ)、ペテコ・カラバハル(バイオリンと歌)、⑬打楽器集団ボンバ・デ・ティエンポ、⑫イルダ・エレーラ(ピアノ)、⑭ファクンド・サラビア(歌)、⑬アクセル・クリヒエル(歌)、③リリアナ・エレーロ=ラリ・バリオヌエボ=ペドロ・ロッシ、④レオポルド・フェデリコ(生涯唯一のチャカレーラの録音、ギターのゲストにウーゴ・リバスも)、⑪オマール・モジョといった、フォルクローレはもちろん、アルゼンチン・タンゴやロックも含めた大ベテランから若手まで多彩なゲストを迎えたものになっている。⑥には現在のアバロス一族も参加する。
まだフォルクローレが全国的に知られていなかった時代から(最初の頃、「君たちはボリビアから来たの?」と聞かれたりしたそうだ)、ボンボ一筋でサンティアゴの味を伝えてきたアバロス兄弟最後の一人、ぜひその歴史的重みを新旧の録音でぜひじっくり味わっていただきたい。
曲目 新録音CD1:
①ペテコ・カラバハルによるイントロ Presentacion Peteco Carabajal
②チャイコフスキーのガト Gatito de Tchaikovski
③ハンカチを振りながら Agitando panuelos
④ラ・フゲトーナ(遊び好きのチャカレーラ) La juguetona
⑤宇宙のビダーラ Vidala del universo
⑥チャカレーラ・コプレーラ Chacarera coplera
⑦太陽いずるチャカレーラ Chacarera del sol naciente
⑧デ・ロス・アンヘリートス De los angelitos
⑨谷間のカルナバリート Carnavalito quebradeno
⑩焚き火のそばで Juntito al fogon
⑪炭焼き女と人は呼ぶ Me llaman la carbonera
⑫46 La cuarenta y seis
⑬エル・ウトゥリータ El utulita
⑭サンティアゴの郷愁 Nostalgias santiaguenas
⑮ボンボおじさんと踊ろう Bailando con el bombisto
⑯チャカループとビティージョのサパテオ Chacaloop y zapateo de Vitillo
CD2:1940~50年代のエルマノス・アバロスのRCA録音20曲を収録、新録音と同じ曲目も多数
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