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来る8月3日、4日の「ラ・クンパルシータ物語」公演について

 いよいよ8月3日(木)TOKUZO、8月4日(金)NHK文化センター名古屋教室で「ラ・クンパルシータ」初演100周年の記念コンサートが行われる。今回の企画はアルゼンチン・タンゴの最有名曲「ラ・クンパルシータ」の誕生・初演100周年を記念して、私自身が企画したものだ。
 「ラ・クンパルシータ」の初演100周年の記念に何か特別なことをやろう、と考えたのは数年前からだった。まずは月刊誌「LATINA」の2017年3月号、4月号、5月号と3回の連載で「ラ・クンパルシータ100周年」という記事を書いた。アルゼンチン~ウルグアイの「ラ・クンパルシータ」に関する書籍と雑誌記事から、この曲の数奇なエピソードを中心にまとめたものだ。ここからもう一歩何か出来ないかと考え、今年の春にバイオリンの宮越建政さんに話をもちかけてみることにした。
Matos Rodriguez Reatrato casa de Becho 738F Partitula La cumparsita945

宮越さんと最初に会ったのはブエノスアイレスだったはず。2009年のことだったと思うが、たまたま同じ時期にブエノスアイレスにいて、宮越さんはバイオリン修行の短期滞在中、その間会田桃子、青木菜穂子、SAYACA、鈴木崇朗、東谷健司(ゲストでやはり修行中だったコー・サンジも数曲に参加)による「2x4 TOKIO」のアルゼンチン公演にも参加した。そのブエノスアイレス公演の後、友人の家のアサードで一緒になったのだが、宮越さんはあまりスペイン語が得意でなく、ひたすらお酒を飲む方に走っていて、ちょっと気の毒。でもそこで話したのが最初だった。

今回のアイデアの直接のきっかけになったのは、2011年名古屋・栄のライヴハウスDOXYで行われた宮越建政さんの企画・構成による「その名はピアソラ」(演奏:quoVadis=宮越建政vn、丸野綾子pf、池田達則bn、大熊彗b)であった。ピアソラの人生を宮越さんが語りながら、エピソードにちなんだ曲を演奏する、というもの。ご存知の方もあるかと思うが、宮越さんはかつてNHKテレビのディレクターで番組の企画・構成・演出を担当、その後一大決心をして音楽家になったという人なので、このライヴはまさに宮越さんならではの企画だったのだ。語りながら演奏もする宮越さんは正直大変そうだったが、1つのステージをストーリーとして構成するやり方は、私が名古屋でずっと続けているNHK文化センター名古屋教室の「タンゴの歴史」講座で写真や映像を使いながら話している形式にも通じるものがあった。

そこで宮越さんに「ラ・クンパルシータ物語」のアイデアを伝え、内容を練り始めた。ピアソラの時と違い、「ラ・クンパルシータ」では、その1曲だけで終わってしまうので、まずは作者ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスの人生をベースにすることにした。しかし彼の作曲活動は生涯続いたわけではなく、現在も演奏される曲は決して多くない。そこでタンゴの歴史とマトス・ロドリゲスの人生を重ね合わせ、マトス・ロドリゲスの生きた時代のタンゴ史として構成することになった。
演奏は池田達則bn、専光秀紀vn、宮越建政vn、松永裕平pf、大熊彗bによるメンターオ・キンテート。メンターオは東京を中心に、オスバルド・プグリエーセを始め、トロイロ、ディサルリなどタンゴ黄金時代のスタイルによる迫力ある演奏で定評のあるグループ。普段はトリオ、クアルテートなどでも演奏しているが、今回はキンテートによる最強編成、メンターオとしての名古屋公演は初めてということで、よりいっそう気合の入ったところを聞かせてくれるはずだ。
Ikeda.jpgSenkoh.jpgMiyakoshi.jpgMatsunaga.jpgOkuma.jpg

当然のことながら100周年は100年に1回しか来ない。この記念すべき年に出来るだけ多くの皆さんにタンゴとその名曲を楽しんでもらいたい、と切に願うのです。

今のところ、名古屋での2回の公演しか予定はありません(お話があれば、東京でも、とは思いますが...)。
8月3日(木)、名古屋・今池TOKUZOでの公演は18:00オープン、19:00スタートで、第1部は「ラ・クンパルシータ物語」のエッセンスを楽しんでいただくダイジェスト版、第2部はメンターオ・キンテートの演奏によるタンゴの名曲をたっぷり楽しんでいただくプログラム、ブエノスアイレスのミロンガ(ダンスホール)での演奏形式に準じて、私の解説をはさみながら、同じスタイル・曲種を2~3曲続けるスタイルでお送りします。会場後方のスペースをダンス用のスペースにしますので、生演奏でダンスがしたいという方も是非お越しください。
TOKUZOはおいしいお食事とお酒でも有名ですが、今回はTOKUZO風エンパナーダを出してもらうようお願いしてあります(もちろんレギュラー・メニューのマテ茶もあります!)。お酒とお食事でくつろぎながら音楽を、という方はTOKUZO公演に是非お越しください。

8月4日(金)の18:30スタートのNHK文化センター名古屋教室での公演は、「タンゴの歴史」特別講座として行われるレクチャー・スタイルです。(なお、こちらは日本タンゴ・アカデミー(NTA)共催、日本アルゼンチンタンゴ連盟(FJTA)後援です。)語りもたっぷり含めつつ90分で「ラ・クンパルシータ物語」をお送りします。
気楽なスタイルでたくさん音楽を楽しまれるのでしたら8月3日、名曲のエピソードをじっくり聞きたい、ということでしたら8月4日をお勧めします。もちろん、重複しない演奏曲目もありますので、両日お楽しみいただければ、なお嬉しいです。

それぞれ、出来るだけご予約をお願いいたします。8月3日のTOKUZO公演は 052-7330-3709(TOKUZO)で前売りは3500円(当日は4000円になります)、食べ物・飲み物のオーダーは各自お願いいたします。
8月4日のNHK文化センターの講座は052-952-7330(NHK文化センター名古屋教室)で、会員(NHK文化センター、日本タンゴ・アカデミー、日本アルゼンチンタンゴ連盟)は\4158、一般の方は\4719となります。

どうかお見逃しなく!
20170803 Tokuzo La cumparsita Mentao120170804「ラ・クンパルシータ」生誕100周年記念 名曲でつづるタンゴの歴史4

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音楽を聴き始めた頃のこと

 不肖私、今年(2017年)で50歳、ラテンアメリカの音楽を聴き始めて35年、初めてアルゼンチンに行ってから30年が経った。これまでも訊かれた時には答えてきたのだが、私がどうやってラテンアメリカ音楽にたどりついたのかを書くという機会はあまりなかったので、少し記しておこうと思う。

 よく音楽の趣味は両親の影響ですか?と言われるのだが、我が家は音楽に関しては、一般家庭以下の「音楽縁」しかなかったように思う。両親・祖父母ともに楽器を奏するものはなく、親戚をかなりたどってもピアノの先生が一人いただけだ。(ずっと後のことだが、叔父のところにお嫁さんに来た人がピアノの先生だったのだが、その人は何と日本の新世代バンドネオン奏者の先駆的存在でもあるTさんの初期の先生だった。世の中狭いものである。)
 
わが家にはレコードプレイヤーぐらいはあったが、レコード棚にあったのはカラベリ、カントリー名曲集、フランク・シナトラのベスト、カーメン・キャバレロのラテン、歌のない歌謡曲、クラシック名曲集といったありきたりのもので、それもせいぜい10組ほどしかなかったように思う。父に聞いたら自分たちで買ったものはほとんどなく、もらったものが多かったようだ(その中になぜか1970年の万博に来日したホセ・バッソ楽団が日本で録音していったアルゼンチン・タンゴ集があった。だからといってこのレコードがタンゴに没入するきっかけにはならなかったが。)
 私自身は楽器を習うでもなく、歌が好きなわけでもなく、学校の音楽の授業にも興味が持てず、ただなんとなくTVのベスト10番組を見てるような小~中学生だった。同級生は深夜ラジオや漫画にのめりこんだり、初期の家庭用TVゲームなどにはまっていたが、一時期集めていたミニカーや切手をのぞけば、正直それほど没頭するようなものは私にはなかった。

 実は私が最初に興味を持った音楽はタンゴではなく、スウィング・ジャズだった。1982年の年末、NHKテレビでベニー・グッドマンの来日公演の模様を放送していたのをたまたま観たのである。あとでわかることだが、これはグッドマン最後の来日公演で、1980年オーレックス・ジャズ・フェスティバルのライヴ、私が見たのは再放送だったはず。最初は「クラシック以外にも演奏だけの音楽があるんだ...」という印象、でもなぜか「シング・シング・シング」はどこかで聞いた覚えがあった。ともかくリズミックな音楽が気に入った。両親にラジカセを買ってくれるよう頼み、ついでにカセットもいくつか買ってきてくれるよう頼んだところ、3本のカセットが私の目の前に登場した。
 当然ベニー・グッドマンのカセットは含まれていたが、あとの2本がどういうわけか「マンボの王様」ペレス・プラードとアルゼンチン・タンゴのベスト(東芝)だったのである。あとで考えてみると不思議な選択だった。いくら両親が音楽に疎いとはいえ、自分よりさらに上の世代の音楽を選んだことになる。おそらく自分のリアルタイムの音楽へのこだわりがなかったので、自分たちの両親(つまり私の祖父母)の世代が聴いていた音楽の断片的記憶が作用したのだろうか。
Benny Goodman Casette Moscow 503Perez Prado CD Best Victor120
 その3つのうち、私が一番気に入ったのはペレス・プラードだった。世の中の趨勢から少なくとも35年ほどずれていたことになる。もちろん同じ音楽の趣味を共有する同級生はなく、日本で出ていたレコードの数も知れていたので、やがて輸入盤を探したり、音楽雑誌を手がかりにし(ここで「ラティーナ」と改名する1年前の雑誌「中南米音楽」と出会う)、中古レコード屋めぐりの習慣が身についていく。ぺレス・プラードからザビア・クガート、東京キューバンボーイズ、レクオーナ・キューバン・ボーイズといったあたりをたどったところで、タンゴの面白さにも惹かれ始める。ラテン・リズムの多様さに興味があったので、まずたどりついたのは「リズムの王様」フアン・ダリエンソ。当時入手できたのは「フェリシア」というLPで、1976年に出た追悼10枚組からあぶれた最初期の1935~1939年の録音を集めたという、およそベスト盤とは程遠いマニアックな内容だったのだが、これがすっかり気に入ってしまう。なぜか私はSP盤復刻のスクラッチノイズが初めから気にならなかった。
 そこからフランシスコ・カナロ、ピリンチョ、カルロス・ディ・サルリ、ロドルフォ・ビアジ、フランシスコ・ロムートといった感じで聞きすすんでいき、トロイロ、プグリエーセ、ピアソラにたどりつくには1年以上かかったのはないかと思う。
Felicia Juan DArienzo Juan DArienzo orquesta Biagi 1936145
 初めて行ったライヴはラテン系が東京キューバンボーイズ(すでに解散していたので再結成による特別ライヴ)、タンゴ系はオランダのコンチネンタル・タンゴの雄、マランド楽団だった(すでに本人は亡くなっていたので、娘婿がリーダーだった)。アルゼンチン・タンゴ本場物の最初は1985年のホセ・バッソ楽団の公演だった。こちらは実に印象深く、いつも難しそうな顔をしたレイナルド・ニチェーレがトップバイオリンを弾き、セカンドはまだ18歳だったレオナルド・フェレイラ、バンドネオンのトップは隠れた名手のカチョ・ビダル、歌手はフアン・カルロス・グラネリが予定されていたが急遽来日とりやめになって、代役で来たのは元エクトル・バレーラ楽団のフェルナンド・ソレール(この後タンゲリーア「タンゴ・ミオ」「セニョール・タンゴ」のオーナーとして有名になる)だった。まだ「タンゴ・アルゼンチーノ」の世界的ブームの直前であり、ダンサーは参加していなかった。たまたま家にあったレコードのアーティストが15年ぶりに来日した時が最初のアルゼンチン・タンゴのライヴ経験ということになったのである。
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 その後ラテンの興味はオールド・キューバ系にも広がり、タンゴはオラシオ・サルガンの音楽と出会うことで現代タンゴにも広がっていく。さらにフォルクローレ、ブラジルにも関心は広がり、ジャズもラグタイムからモダンジャズに至るまで断続的に聴き続けているが、基本的にはコルトレーンの前で止まっている。ファド、フラメンコ、レゲエという隣接?3ジャンルには今日まであまり深入りすることなく来ている。
 今はインターネットのおかげもあって、それほどお金をかけなくても、世界のありとあらゆる音楽がとりあえずは聴ける。でもその一方でそれを自分で探していく楽しみとか、そのプロセスで徐々に学んでいけるものが欠損してしまっているような気もする。情報は少なかったが、下北沢や吉祥寺で半日レコード屋を渡り歩いて、安い値段で効率よく集めていた時期がなんとも懐かしい。
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