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音楽を聴き始めた頃のこと

 不肖私、今年(2017年)で50歳、ラテンアメリカの音楽を聴き始めて35年、初めてアルゼンチンに行ってから30年が経った。これまでも訊かれた時には答えてきたのだが、私がどうやってラテンアメリカ音楽にたどりついたのかを書くという機会はあまりなかったので、少し記しておこうと思う。

 よく音楽の趣味は両親の影響ですか?と言われるのだが、我が家は音楽に関しては、一般家庭以下の「音楽縁」しかなかったように思う。両親・祖父母ともに楽器を奏するものはなく、親戚をかなりたどってもピアノの先生が一人いただけだ。(ずっと後のことだが、叔父のところにお嫁さんに来た人がピアノの先生だったのだが、その人は何と日本の新世代バンドネオン奏者の先駆的存在でもあるTさんの初期の先生だった。世の中狭いものである。)
 
わが家にはレコードプレイヤーぐらいはあったが、レコード棚にあったのはカラベリ、カントリー名曲集、フランク・シナトラのベスト、カーメン・キャバレロのラテン、歌のない歌謡曲、クラシック名曲集といったありきたりのもので、それもせいぜい10組ほどしかなかったように思う。父に聞いたら自分たちで買ったものはほとんどなく、もらったものが多かったようだ(その中になぜか1970年の万博に来日したホセ・バッソ楽団が日本で録音していったアルゼンチン・タンゴ集があった。だからといってこのレコードがタンゴに没入するきっかけにはならなかったが。)
 私自身は楽器を習うでもなく、歌が好きなわけでもなく、学校の音楽の授業にも興味が持てず、ただなんとなくTVのベスト10番組を見てるような小~中学生だった。同級生は深夜ラジオや漫画にのめりこんだり、初期の家庭用TVゲームなどにはまっていたが、一時期集めていたミニカーや切手をのぞけば、正直それほど没頭するようなものは私にはなかった。

 実は私が最初に興味を持った音楽はタンゴではなく、スウィング・ジャズだった。1982年の年末、NHKテレビでベニー・グッドマンの来日公演の模様を放送していたのをたまたま観たのである。あとでわかることだが、これはグッドマン最後の来日公演で、1980年オーレックス・ジャズ・フェスティバルのライヴ、私が見たのは再放送だったはず。最初は「クラシック以外にも演奏だけの音楽があるんだ...」という印象、でもなぜか「シング・シング・シング」はどこかで聞いた覚えがあった。ともかくリズミックな音楽が気に入った。両親にラジカセを買ってくれるよう頼み、ついでにカセットもいくつか買ってきてくれるよう頼んだところ、3本のカセットが私の目の前に登場した。
 当然ベニー・グッドマンのカセットは含まれていたが、あとの2本がどういうわけか「マンボの王様」ペレス・プラードとアルゼンチン・タンゴのベスト(東芝)だったのである。あとで考えてみると不思議な選択だった。いくら両親が音楽に疎いとはいえ、自分よりさらに上の世代の音楽を選んだことになる。おそらく自分のリアルタイムの音楽へのこだわりがなかったので、自分たちの両親(つまり私の祖父母)の世代が聴いていた音楽の断片的記憶が作用したのだろうか。
Benny Goodman Casette Moscow 503Perez Prado CD Best Victor120
 その3つのうち、私が一番気に入ったのはペレス・プラードだった。世の中の趨勢から少なくとも35年ほどずれていたことになる。もちろん同じ音楽の趣味を共有する同級生はなく、日本で出ていたレコードの数も知れていたので、やがて輸入盤を探したり、音楽雑誌を手がかりにし(ここで「ラティーナ」と改名する1年前の雑誌「中南米音楽」と出会う)、中古レコード屋めぐりの習慣が身についていく。ぺレス・プラードからザビア・クガート、東京キューバンボーイズ、レクオーナ・キューバン・ボーイズといったあたりをたどったところで、タンゴの面白さにも惹かれ始める。ラテン・リズムの多様さに興味があったので、まずたどりついたのは「リズムの王様」フアン・ダリエンソ。当時入手できたのは「フェリシア」というLPで、1976年に出た追悼10枚組からあぶれた最初期の1935~1939年の録音を集めたという、およそベスト盤とは程遠いマニアックな内容だったのだが、これがすっかり気に入ってしまう。なぜか私はSP盤復刻のスクラッチノイズが初めから気にならなかった。
 そこからフランシスコ・カナロ、ピリンチョ、カルロス・ディ・サルリ、ロドルフォ・ビアジ、フランシスコ・ロムートといった感じで聞きすすんでいき、トロイロ、プグリエーセ、ピアソラにたどりつくには1年以上かかったのはないかと思う。
Felicia Juan DArienzo Juan DArienzo orquesta Biagi 1936145
 初めて行ったライヴはラテン系が東京キューバンボーイズ(すでに解散していたので再結成による特別ライヴ)、タンゴ系はオランダのコンチネンタル・タンゴの雄、マランド楽団だった(すでに本人は亡くなっていたので、娘婿がリーダーだった)。アルゼンチン・タンゴ本場物の最初は1985年のホセ・バッソ楽団の公演だった。こちらは実に印象深く、いつも難しそうな顔をしたレイナルド・ニチェーレがトップバイオリンを弾き、セカンドはまだ18歳だったレオナルド・フェレイラ、バンドネオンのトップは隠れた名手のカチョ・ビダル、歌手はフアン・カルロス・グラネリが予定されていたが急遽来日とりやめになって、代役で来たのは元エクトル・バレーラ楽団のフェルナンド・ソレール(この後タンゲリーア「タンゴ・ミオ」「セニョール・タンゴ」のオーナーとして有名になる)だった。まだ「タンゴ・アルゼンチーノ」の世界的ブームの直前であり、ダンサーは参加していなかった。たまたま家にあったレコードのアーティストが15年ぶりに来日した時が最初のアルゼンチン・タンゴのライヴ経験ということになったのである。
jOSE bASSO099
 その後ラテンの興味はオールド・キューバ系にも広がり、タンゴはオラシオ・サルガンの音楽と出会うことで現代タンゴにも広がっていく。さらにフォルクローレ、ブラジルにも関心は広がり、ジャズもラグタイムからモダンジャズに至るまで断続的に聴き続けているが、基本的にはコルトレーンの前で止まっている。ファド、フラメンコ、レゲエという隣接?3ジャンルには今日まであまり深入りすることなく来ている。
 今はインターネットのおかげもあって、それほどお金をかけなくても、世界のありとあらゆる音楽がとりあえずは聴ける。でもその一方でそれを自分で探していく楽しみとか、そのプロセスで徐々に学んでいけるものが欠損してしまっているような気もする。情報は少なかったが、下北沢や吉祥寺で半日レコード屋を渡り歩いて、安い値段で効率よく集めていた時期がなんとも懐かしい。
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