映画「サルガン&サルガン」監督、キャロライン・ニール・インタビュー
いよいよこの6月15日でめでたく100歳の誕生日を迎えるアルゼンチン・タンゴの巨匠オラシオ・サルガン。そのサルガンと息子のセサルの数奇な親子関係を軸にしたドキュメンタリー映画「サルガン&サルガン 父と子のタンゴ」の監督、キャロライン・ニールのインタビューをお届けしよう。「サルガン&サルガン」は今年3月、福岡の桜タンゴ・フェスティバルで1回だけ限定公開されたが、現在名古屋と東京で上映できるよう筆者が画策中。この映画の内容が気になっている人も多いと思うので、まずはインタビューで子の映画について知っていただければと思う。
なお、映画の主人公オラシオ・サルガンの人生については今年の5月号、6月号、7月号の「ラティーナ」に3号連載の形で書いているのでぜひご参照を。



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「サルガン&サルガン 父と子のタンゴ」 キャロライン・ニール監督 メール・インタビュー
・いつどのようにオラシオ・サルガンの映画を作るプロジェクトはスタートしたのですか?
-有名人であるにもかかわらず、オラシオ・サルガンはメディアと大きなつながりを持たない、プライベートをあまり公にしない人物だった。おそらくオラシオと息子のセサルについてのドキュメンタリーを作るというアイデアは初めから受け入れられないだろうと思っていた。しかしタンゴビア・ブエノスアイレスのイグナシオ・バルチャウスキーとカルロス・ビジャルバが2008年の「サルガン・イヤー」のプロジェクトをオラシオに提案したの。そこには多くの活動が含まれていて、その中にはセサルのピアノを中心としてオルケスタ・ティピカを再編成してブエノスアイレスでコンサートを行い、ローマのタンゴ・フェスティバルに出演して、国立図書館の「ララス・パルティトゥーラス」シリーズにために録音を行い、やはり国立図書館と共同でサルガン自身の手によるオーケストラ・アレンジを本として出版することなどが含まれていた。素晴らしいプロジェクトだったわ。そこで私はそのプロジェクトを映像ドキュメンタリーとして記録することを依頼されたの。その時すでに私たちはオラシオとセサルが、長年コンタクトがなかった末に今の関係にあることは知っていたわ。サルガン父子と私たちが会った最初の夜に、もうこのエピソードが長編映画に匹敵する内容であることは明らかだった。2人はとても丁寧でフォーマルに互いを紳士的に扱う関係で、距離がある感じだった。でもそのまなざしには描くことができないほど複雑なストーリーがあったのね。
・なぜこのテーマを選んだのですか?
-オラシオとセサルと知り合った時、私は彼ら二人の歴史に、どんな父と子の間にもあるいくつかの普遍的なテーマ、つまり期待と畏敬、放棄と和解、憧れと怒り、距離とつながり、といったテーマがあると思ったの。私の父もちょうど1年前に亡くなったんだけど、私の父は医者で、私を医者にしたかった、でも私は薬学を選ばなかった。それは部分的には父の期待を果たせないかもしれないという恐れからだったわ。私はセサルが楽器演奏に取り組み、タンゴの天才の一人であり、アルゼンチンの生きた伝説である自分の父親の音楽を演奏する勇気をもったことをたたえたいと思うわ。そこで、相当大変なことであるにもかかわらず、なぜどうやってマエストロ・オラシオ・サルガンのあとを続いていこうとしたのかが知りたくなったの。
・あなたからみて、オラシオ・サルガンの長生きの秘訣はどこにあると思いますか?
-ちょうど昨晩セサルと同じ質問について話したところ。私は、それは彼の情熱、夜に起きてでも日々を満たす彼の仕事への義務感だと思うと言ったの。しかしセサルはそこにさらに付け加えたの。「オラシオはいつも機嫌がいいんだ。いつもジョークを用意していて、うらみつらみを持たない。映画で見たとおり、彼はその音楽で知られているだけではなく、ジョークでも有名だ。幸せに生きているんだ。」
・映画の中であなたがもっとも気に入っているシーンはどこですか?
-それは難しい質問ね。小さな円形のピアノのシーンかな...これを撮影した日のエネルギーを思い出すからね...その時父と子が初めて一緒に演奏した瞬間だったのよ! しかも演奏できないピアノで! 彼らがメロディーを口ずさみ始めた時、まるでいつも一緒に弾いていたかのようで、あの瞬間の美しさと詩的な感じは信じられなかったわ。
オラシオが軽食を取りながら、セサルがいつものように料理をしているシーンも大好きだわ。このシーンは長いのだけど、小さなアパートで空間を分け合っているにも関わらず、オラシオとセサルの間にある沈黙と離れ離れだった経験を物語っているわ。このシーンを見ると、私はこんなに親密なところを撮影させてくれたオラシオとセサルのやさしさに大きな感謝の気持ちを感じるの。
・映画に出てくるあのピアノは映画のために作ったのですか?
-あれはアルゼンチンの芸術家フリオ・フィエロの作品で「ピアノの花」という名前なの。フリオは私の友人で、そのピアノを見たとき、一目で気に入って、ポスターに使うことにしたの。写真をとったのは写真家のカルロス・フルマン。丸いピアノはこの父と子の物語のメタファーになっている。結局2人が再会するのを助けたのはピアノなわけだし。
・今後の映画製作の予定はありますか?
-今ちょうど「とろ火で」温めているテーマがあるわ。ダンスに結びつけたタンゴの映画をもう一本作りたいわね。あとはアルゼンチンのスーフィー教徒のドキュメンタリー、アルゼンチンとインドで撮影するロマンティックなコメディーとかね。
・日本の皆さんにメッセージを
-今年、福岡の桜タンゴ・フェスティバルで「サルガン&サルガン」が公開されたことにはとても感謝しています。願わくば日本での上映がもっと続くといいと思います。この映画はとても注意を払い、たくさんの愛を持って作った映画です。大半は手持ちのカメラで私が撮影しました。ごく一部だけ、例えば広い固定されたアングルが必要なセサルのアパートでは三脚を使いましたが、これは間違いなく、小津安二郎監督作品の「東京物語」の撮り方に影響されたものです。シンプルなジェスチャーで人間らしい感情の複雑さを表現する小津の才能には驚かされます。私のちっぽけなドキュメンタリーでは小津作品の足元にも及びませんが、タンゴの2人のマエストロというだけでなく、2人の愛すべき人間を親密にとらえることを可能にしたと思います。アルゼンチンと日本は、あまりに遠く離れている国ですが、サルガン父子や小津のような偉大なマエストロたちが、そのアートによって、我々がたくさんのことを共通に持っていることを発見する手助けをしてくれているのです。
・前作「シ・ソス・ブルーホ」から「サルガン&サルガン」に至るまで、監督として変化した点はありますか?
-「シ・ソス・ブルーホ」で私が好きなシーンは、エミリオ・バルカルセがバンドネオンを台所で弾き、娘さんが歌って、エミリオの奥さんのリディアとイグナシオ・バルチャウスキーと飼い犬が聴衆になって聞いているシーンなの。それはとても個人的で親密なシーンだと思うの。「サルガン&サルガン」を撮り始めた時、私の望みは「すべてがこの台所」のようになることだったの。共同脚本家のアルベルト・ムニョスと一緒に、まず私たちは教示的な要素に関しては語りの筋を優先することにしたの。「サルガン&サルガン」ではまだ語りの要素としてインタビューを使っているわ。たぶん次作ではその使い方をやめるかもしれない。インタビューは単に情報を共有する方法であるだけではなく、インタビューされた人がどのようにして自分の歴史を作ってきたか、その人が世界に自分をどのようにプレゼンテーションしているかを見せる方法でもあるわ。私たちはいつもインタビューで話された以上のことを映画で明らかにしているし、そのメタ・インフォメーションに私はとても興味があるの。
なお、映画の主人公オラシオ・サルガンの人生については今年の5月号、6月号、7月号の「ラティーナ」に3号連載の形で書いているのでぜひご参照を。



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「サルガン&サルガン 父と子のタンゴ」 キャロライン・ニール監督 メール・インタビュー
・いつどのようにオラシオ・サルガンの映画を作るプロジェクトはスタートしたのですか?
-有名人であるにもかかわらず、オラシオ・サルガンはメディアと大きなつながりを持たない、プライベートをあまり公にしない人物だった。おそらくオラシオと息子のセサルについてのドキュメンタリーを作るというアイデアは初めから受け入れられないだろうと思っていた。しかしタンゴビア・ブエノスアイレスのイグナシオ・バルチャウスキーとカルロス・ビジャルバが2008年の「サルガン・イヤー」のプロジェクトをオラシオに提案したの。そこには多くの活動が含まれていて、その中にはセサルのピアノを中心としてオルケスタ・ティピカを再編成してブエノスアイレスでコンサートを行い、ローマのタンゴ・フェスティバルに出演して、国立図書館の「ララス・パルティトゥーラス」シリーズにために録音を行い、やはり国立図書館と共同でサルガン自身の手によるオーケストラ・アレンジを本として出版することなどが含まれていた。素晴らしいプロジェクトだったわ。そこで私はそのプロジェクトを映像ドキュメンタリーとして記録することを依頼されたの。その時すでに私たちはオラシオとセサルが、長年コンタクトがなかった末に今の関係にあることは知っていたわ。サルガン父子と私たちが会った最初の夜に、もうこのエピソードが長編映画に匹敵する内容であることは明らかだった。2人はとても丁寧でフォーマルに互いを紳士的に扱う関係で、距離がある感じだった。でもそのまなざしには描くことができないほど複雑なストーリーがあったのね。
・なぜこのテーマを選んだのですか?
-オラシオとセサルと知り合った時、私は彼ら二人の歴史に、どんな父と子の間にもあるいくつかの普遍的なテーマ、つまり期待と畏敬、放棄と和解、憧れと怒り、距離とつながり、といったテーマがあると思ったの。私の父もちょうど1年前に亡くなったんだけど、私の父は医者で、私を医者にしたかった、でも私は薬学を選ばなかった。それは部分的には父の期待を果たせないかもしれないという恐れからだったわ。私はセサルが楽器演奏に取り組み、タンゴの天才の一人であり、アルゼンチンの生きた伝説である自分の父親の音楽を演奏する勇気をもったことをたたえたいと思うわ。そこで、相当大変なことであるにもかかわらず、なぜどうやってマエストロ・オラシオ・サルガンのあとを続いていこうとしたのかが知りたくなったの。
・あなたからみて、オラシオ・サルガンの長生きの秘訣はどこにあると思いますか?
-ちょうど昨晩セサルと同じ質問について話したところ。私は、それは彼の情熱、夜に起きてでも日々を満たす彼の仕事への義務感だと思うと言ったの。しかしセサルはそこにさらに付け加えたの。「オラシオはいつも機嫌がいいんだ。いつもジョークを用意していて、うらみつらみを持たない。映画で見たとおり、彼はその音楽で知られているだけではなく、ジョークでも有名だ。幸せに生きているんだ。」
・映画の中であなたがもっとも気に入っているシーンはどこですか?
-それは難しい質問ね。小さな円形のピアノのシーンかな...これを撮影した日のエネルギーを思い出すからね...その時父と子が初めて一緒に演奏した瞬間だったのよ! しかも演奏できないピアノで! 彼らがメロディーを口ずさみ始めた時、まるでいつも一緒に弾いていたかのようで、あの瞬間の美しさと詩的な感じは信じられなかったわ。
オラシオが軽食を取りながら、セサルがいつものように料理をしているシーンも大好きだわ。このシーンは長いのだけど、小さなアパートで空間を分け合っているにも関わらず、オラシオとセサルの間にある沈黙と離れ離れだった経験を物語っているわ。このシーンを見ると、私はこんなに親密なところを撮影させてくれたオラシオとセサルのやさしさに大きな感謝の気持ちを感じるの。
・映画に出てくるあのピアノは映画のために作ったのですか?
-あれはアルゼンチンの芸術家フリオ・フィエロの作品で「ピアノの花」という名前なの。フリオは私の友人で、そのピアノを見たとき、一目で気に入って、ポスターに使うことにしたの。写真をとったのは写真家のカルロス・フルマン。丸いピアノはこの父と子の物語のメタファーになっている。結局2人が再会するのを助けたのはピアノなわけだし。
・今後の映画製作の予定はありますか?
-今ちょうど「とろ火で」温めているテーマがあるわ。ダンスに結びつけたタンゴの映画をもう一本作りたいわね。あとはアルゼンチンのスーフィー教徒のドキュメンタリー、アルゼンチンとインドで撮影するロマンティックなコメディーとかね。
・日本の皆さんにメッセージを
-今年、福岡の桜タンゴ・フェスティバルで「サルガン&サルガン」が公開されたことにはとても感謝しています。願わくば日本での上映がもっと続くといいと思います。この映画はとても注意を払い、たくさんの愛を持って作った映画です。大半は手持ちのカメラで私が撮影しました。ごく一部だけ、例えば広い固定されたアングルが必要なセサルのアパートでは三脚を使いましたが、これは間違いなく、小津安二郎監督作品の「東京物語」の撮り方に影響されたものです。シンプルなジェスチャーで人間らしい感情の複雑さを表現する小津の才能には驚かされます。私のちっぽけなドキュメンタリーでは小津作品の足元にも及びませんが、タンゴの2人のマエストロというだけでなく、2人の愛すべき人間を親密にとらえることを可能にしたと思います。アルゼンチンと日本は、あまりに遠く離れている国ですが、サルガン父子や小津のような偉大なマエストロたちが、そのアートによって、我々がたくさんのことを共通に持っていることを発見する手助けをしてくれているのです。
・前作「シ・ソス・ブルーホ」から「サルガン&サルガン」に至るまで、監督として変化した点はありますか?
-「シ・ソス・ブルーホ」で私が好きなシーンは、エミリオ・バルカルセがバンドネオンを台所で弾き、娘さんが歌って、エミリオの奥さんのリディアとイグナシオ・バルチャウスキーと飼い犬が聴衆になって聞いているシーンなの。それはとても個人的で親密なシーンだと思うの。「サルガン&サルガン」を撮り始めた時、私の望みは「すべてがこの台所」のようになることだったの。共同脚本家のアルベルト・ムニョスと一緒に、まず私たちは教示的な要素に関しては語りの筋を優先することにしたの。「サルガン&サルガン」ではまだ語りの要素としてインタビューを使っているわ。たぶん次作ではその使い方をやめるかもしれない。インタビューは単に情報を共有する方法であるだけではなく、インタビューされた人がどのようにして自分の歴史を作ってきたか、その人が世界に自分をどのようにプレゼンテーションしているかを見せる方法でもあるわ。私たちはいつもインタビューで話された以上のことを映画で明らかにしているし、そのメタ・インフォメーションに私はとても興味があるの。